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『マルクス 生を呑み込む資本主義 』白井聡著を読んだ。

『マルクス 生を呑み込む資本主義 (講談社現代新書)』白井聡


講談社現代新書から出ている100ページほどで読めるというシリーズ。短くて助かったが、内容は一回聞いただけでは理解するのは難しかった。


だから、youtubeの方で、著者が出演している『【白井聡 ニッポンの正体】呼び出されるマルクス 〜生きづらさの根源解き明かす「資本論」〜』

を観て、参照すると、理解が深まった。


・現実の社会主義国家の実施については失敗したが、資本主義の分析は今なお見るべきところが大きい

なぜマルクスを読むのか、ということに対して、筆者は、マルクス主義的な社会主義の国家、特にソ連や中国などの経済的な失敗については、確かにそうなのだが、マルクスの資本主義についての分析については、現代も色あせず、むしろ光を放っている、と言う。


・エンクロージャーによる労働者の商品化

その資本主義の分析ということでは、マルクスは、その発生の起源を、エンクロージャー、囲い込みに見ている。それまでは、領主が農民に土地をあたえて、毎年収穫をしていた。これが、エンクロージャーによって、私有化する。そこを、毛織物のために、畑から羊を育てる牧場へと、変えたのである。これにより、土地が「商品」となった。そして、農地を失った農民が、都市に溢れ、彼らは工場の労働の担い手となる。労働力が「商品」となったわけだ。


・「富」と「商品」

さて、このエンクロージャーというのは、近代のイギリスではじまったのであるが、それ以前は、「商品」というのが、大きくならず、それは「富」と呼ばれていた。富と商品は違うのである。


「富」は、海で魚釣りをして釣った魚や、山で水を汲んだりしたものである。これらは、売られている「商品」ではないだろう。狩猟採集民であった人類は、「商品」はなく、「富」だけで社会は成り立っていた、といえるであろう。


その後の歴史の中で、商品が発生し、交換行うようになった。けれども、それはまだ、マルクスの定義するところの、資本主義の成立とは、言えない。その理由は端的に言うと、まだ、「死活」問題ではないからである。


・商品があっても資本主義ではない

死活問題とはどういうことか。例えば、日本の江戸時代を振り返るとわかりやすい。江戸時代は、商品作物が大量に作られていたのである。屋台で、大量の商品が売り買いされていた。だからと言って、この時代が資本主義とは言われない。なぜかというと、彼らは、生産手段を自分で持っていたからである。


・労働力の商品化こそが資本主義の成立である

つまり、「労働力」を商品として売るしかなくなった、ということが、マルクスによると、資本主義の発生を意味するのである。これは、先述のとおり、歴史的には、近代イギリスにおいて、エンクロージャーによって、成り立った。ちなみに、これによって、農民は大地から切り離され、イギリスの食文化が崩壊し、以後イギリス料理は、まずくなった、らしい。


以上のような資本主義の発生までの歴史的背景や流れは、とても興味深いもので、納得できるものであった。


・「商品(労働力)」が「商品」を生む

だが、この資本主義の流れは、現代にも続いていて、それは「怪物」のように、拡大していっているということだ。労働力が商品となることによって、「商品が商品を生む」ようになるからである。


これは、現代の問題でいうと、家事労働の商品化、情報の商品化、代理母などの商品、公共事業の民営化などが、挙げられるだろう。


さて、以上のように、資本主義が拡大していくこと、あらゆることが商品となっていくことを、マルクスは「包摂」という概念で説明している。その概念を、白井は重要なものとして取り上げて説明している。


・「包摂」

包摂とはsubsumptionという語であり、inclusionとは違う。後者は、孤立している者を社会に組み込んでいこうという、社会的な援助の意で使われる。マルクスの使う「包摂」の概念は、資本によってのみ込まれる、という、苦しさをともなったイメージで用いられている。


・フォーディズムによる「実質的」な包摂

包摂は、「フォーディズム」という例によって、白井によって、分かりやすく説明がなされている。フォーディズムとは、アメリカの自動車会社のフォードが行った雇用の方策のことである。


簡単に言えば、フォードは、それ以前よりも、賃金を多く払った。賃金を多く払ったと聞けば、「よいこと」のように思われるが、事はそれほど簡単ではない。雇用する側の資本にとって、利益のあることだから、そのようにしたのである。


賃金を多く支払うことにより、フォードの自動車を買えるくらいの貯蓄をもたらし、労働者の購買力が高まるようになったのである。


・労働者が「自主的」に労働する

フォーディズム以前は、資本家と労働者との関係は、金をもらったら、あとは終わり、であった。労働者はいやいや働いていて、時間がきたらすぐに終わり、であった。けれどもフォーディズム以降では、資本家が相対的に高い賃金を払うことによって、労働者は「定着」することになった。そして、労働者からすれば、生活が「安定」をするようになった。そして、社会全体としては、消費が高まることになり、消費社会が「回る」ようになった。


最初はいやいや働いていたのが、この段階に至って、労働者は「自発的」に参加するようになったのである。労働者が、「実質的に包摂」されることとなったのである。

 

・消費資本主義の時代の「幸福」

ここから時代は「消費資本主義」に突入するわけでが、この労働者の「幸福」は、社会が「成長」段階にあるときには、保障されるであろう。けれども、現代において、特に日本では、成長はストップしてしまったかのようにみえる。

 

現代日本では、普通に働いても、成長が見られず、それゆえ、期待する賃金も支払われることもなくなっている。ここに、資本家と労働者との「幸福」な関係は、崩れてしまっているわけである。

 

・「自主性」も商品化する現代日本

けれども、この関係を維持しようと、労働者の「自主性」さえも、商品化されているのではないか、と白井が疑問を呈しているのは、本書の斬新な点であろう。

 

その例示として挙げられているのは「居酒屋甲子園」なるもので、低賃金・長時間労働を強いられている労働者が、「絆」や「夢」を叫ぶことで、「やりがい」を創作するイベントなのであるが、そのイベントも主催者がいる委託された「商品」に他ならないという、笑っていいのかわからない、現代日本の問題だ。

 

・感想

というわけで、本書を読むことで、マルクスの洞察が、切れ味を現代にも残すものである、ということがわかった。「一つの見方」として、ポケットに隠しておきたいものだ、と思った。

 

 
 
 

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